作品コンクール

サンケイリビング新聞社賞
東京都世田谷区 35歳 三野 誠子
『角砂糖一個』

 小学校五年生の芳恵は、あらっと思いました。近所のスーパーに、牛乳を買いに言った時のことです。レジを済ませたコーナーで、見覚えのあるおばあちゃんが、買った物を一生懸命袋に詰めているのが見えたのです。芳恵は大急ぎで買い物を済ませると、おばあちゃんのところに足を急がせました。
「こんにちは」
おばあちゃんは、はて?という表情をします。
「私、大塚小学校の佐藤芳恵です。この間、ボランティアでクラブにお邪魔した・・・」
おばあちゃんは、パッと顔を輝かせました。
「ああ、あの時のお嬢さんですか。あの時は楽しかったわ。お歌を聞かせてくれましたね」
 芳恵の小学校は、近所の老人クラブとの交流があります。五年生になるといくつかのグループに分かれ、ボランティア活動と称して定期的にそこを訪ねているのでした。芳恵は先週初めてその活動に参加したのです。
 おばあちゃんは二つの袋に果物や野菜をいっぱいに詰め終わると、よいしょ、と言いながら重たそうに持ち上げました。
「またお歌を聞かせて下さいね。それでは」
丁寧に頭を下げて帰ろうとするおばあちゃんを、芳恵は慌てて引き留めました。
「待って。私に持たせて下さい。」
ちょっと勇気がいりました。顔が赤くなります。大丈夫ですよ、と言いかけたおばあちゃんでしたが、その顔を見て、
「それじゃあ、お願いしましょうか」
と言い直しました。
 芳恵がほっとしておばあちゃんの袋を持つと、二人はゆっくりと歩き始めます。
「本当にすみませんねぇ。重たいでしょう」
「いいえ。学校のカバンが重いので慣れています」
「私の家はこの近くなんですよ」
「そうですか」
 他愛のない話をしながら歩くうちに、おばあちゃんの家の前に到着しました。その家は、芳恵の通学路の途中にありました。「須賀」という表札が出ています。
「それじゃここで」
芳恵が買い物袋を渡して帰ろうとすると、おばあちゃんは、
「おやつでも召し上がっていきませんか」
と言いました。芳恵が、
「でも弟が牛乳を待っているので・・・」
と言いづらそうに断ると、おばあちゃんは、
「それじゃ、今度是非いらしてね。待っていますよ。」
と残念そうに言って、芳恵を見送りました。
 翌朝いつものように芳恵が友達と通学路を歩いていると、須賀さんの家の前に、道路を掃除するおばあちゃんの姿がありました。
「おはようございます」
「昨日はどうもありがとうねぇ」
芳恵とおばあちゃんは挨拶を交わします。
 帰り道は芳恵一人でした。歩いていると、須賀さんの家の前には、またもやおばあちゃんの姿がありました。
「あ、こんにちは」
芳恵はちょっと驚いたような声を出しました。一日二回も会うとは思っていなかったのです。でも、おばあちゃんは芳恵が帰ってくるのを待っていたのでした。
「お嬢ちゃん、ジュースでも上がっていきませんか」
誘われて、芳恵はちょっと困ってしまいました。まだ知り合ったばかりだし、寄り道は禁止されているし・・・。でも、じっと芳恵を見つめるおばあちゃんの優しい目を見てしまうと、帰りますとは言えません。
「それじゃ、ちょっとだけ」
芳恵はそう言うと、おばあちゃんに手を引かれるようにして家の中に入っていきました。
 芳恵が電話を借りて、家に「少し遅くなるから」と連絡している間に、おばあちゃんはいそいそと台所と居間を行ったり来たりしていました。
「ありがとうございました」
芳恵が電話の礼を言うと、おばあちゃんは、
「そうよね、ごめんなさいね、お母様が心配なさるわよね」
と言いながら、とても嬉しそうです。
 テーブルの上にはたくさんのお菓子が並んでいました。
「ジュースでいい?」
芳恵の前にはグラスが、おばあちゃんの前にはティ―ポットが置いてあります。
「あ、おばあちゃんと同じ物を飲みたいです」
芳恵が答えると、おばあちゃんは、
「若いのにいやですねぇ、気なんか遣って」
と言いながら、やっぱり嬉しそうにティ―カップを運んできました。
「それじゃ、一緒においしいお紅茶を頂きましょう」
 おばあちゃんが淹れてくれた紅茶は、とてもいい香りがしました。
「お砂糖は」
「じゃあ、二つ下さい」
おばあちゃんは芳恵のティ―カップに角砂糖を二つ落としました。
「私は一つね」
そしておばあちゃんは自分のカップにも角砂糖を落とすと、ゆっくりと話し始めたのです。
 「ごらんなさいな。お砂糖から、じゅわじゅわじゅわーって、泡が出てきたでしょう。小さな、きれいな泡がたくさん出てきたでしょう。私はね、これが見たくてお紅茶を飲むんですよ。」
「どうしてですか」
「昔、もうずーっと昔のことですよ。私とおじいちゃんがね、初めてデートというものをしたんです。場所はね、そう、湖で、ボートに乗ったのですよ。それはもう、男の人とデートだなんて初めてのことでしたから、心臓がドキドキしましてねぇ。そしたら、なんとまぁ、おじいちゃんが私に四角い包みを差し出したんですよ。男の人から物をもらうなんていうのも生まれて初めてのことでしたから、ボートから落ちそうになるほどびっくりしてしまいましてね」
「で、プレゼントは何だったんですか」
するとおばあちゃんは、見ていないのですよ、と言って、クックックッと笑いました。
「私は落ちなかったけれど、プレゼントは湖に落ちてしまったの。緊張して手がすべってしまったのですよ。」
おばあちゃんは頬を赤らめてまた笑いました。
「おじいちゃんは『すごく恥ずかしかったけれど、勇気を出して買ったオルゴールだったのに』と言って残念がっていましたよ。でもねぇ、私だって残念だったんですから。どんなオルゴールだったのか、おじいちゃんが選んでくれた物を、一度は手に取って見てみたかったわねぇ」
芳恵は黙って聞いています。
「その時ね、湖に落ちていった四角い包みから、細かーい白い泡がたくさんたくさん出ていたんですよ。包みはすぐに見えなくなってしまったけれど、泡はしばらくの間私たちの目の前にプクプクプクってね。それを私はおじいちゃんと二人、じーっと見ていたんです」
「だから」
「そう、だからね、お紅茶にお砂糖を入れるのが、私の楽しみなんです。お砂糖からのぼってくる細かい泡を見るのがね」
 おばあちゃんは、紅茶を口に運びました。芳恵もそっとすすってみます。
「おいしい」
「それはよかったわ。・・・おじいちゃんはそそっかしい私を気に入ってくれて・・・というより、心配になったのかしらね。湖のデートからしばらくして、結婚しようと言ってくれたんですよ。結婚してからは、毎日お紅茶を飲みましたよ。角砂糖を入れては、『あ、オルゴールが』って。まったく、イヤですねぇ。でも、甘くておいしいお紅茶でした」
「おじいちゃんは今・・・?」
芳恵は、気になっていたことを聞いてみました。
「亡くなりました・・・今年は七回忌っていいましてね」
おばあちゃんは少しの間目を伏せましたが、また穏やかに笑って話を続けました。
「もういい歳でしたからね、お互いに。幸せでしたよ。子供が産まれて、孫が出来て。毎日甘いお紅茶を飲んでね。私の孫はね、お嬢さんぐらいの女の子で・・・、お嬢さんみたいに優しいんですよ」
おばあちゃんは目を細めます。
「あの子も、会うたびにお紅茶を一緒に飲んでくれるんですよ。おじいちゃんとの話はいやというほど聞かされているから、『オルゴールのお砂糖ちょうだい』ってね、三つも四つもお砂糖入れて。遠くに住んでいるので、たまにしか会えませんけれどもね」
 芳恵の胸が温かくなったのは、紅茶のせいだったのでしょうか。
 
「おばあちゃん、私そろそろ」
「あらもうこんな時間。すっかりお引き留めしてしまいましたねぇ」
おばあちゃんは、温かい目で芳恵を見ています。芳恵は、きっとおじいちゃんはこの目が好きでおばあちゃんと結婚したんだわ、と思いました。
「おばあちゃん、また来ていいですか」
玄関でスニ―カーを履きながら芳恵が尋ねると、おばあちゃんはにっこりと肯きました。
「また紅茶を淹れて下さいね。お砂糖入りの甘いのを。ご馳走様でした」
 芳恵が帰っていく姿を、おばあちゃんは見えなくなるまで見送っていました。
CLOSE